テニスの歴史
特に子供と初心者のためのテニスの歴史
このノートは多く?の文献の中から、テニスを楽しむにあたってみんなが知っていなければならないこと、知っていればより興味が増すだろうこと、にまとをしぼって、それに私久保田の主観と偏見を混ぜ合わせて書きついでみたものだ。
稽古で技術を習うだけでなく、テニスの歴史的・文化的側面にも注意を払うならば、テニスはもっともっと楽しくなるに違いない。
このページの出典は主に WikiPedia と日本テニス協会ウェブサイト
テニスの歴史
近代スポーツと呼ばれるものの多くはイギリスにおいて発明され、または発展した。サッカーやラグビーは言うに及ばずバドミントンなども例としてあげられる。それは何故か?自分たちで調べてみるのもおもしろいのではないか…
テニスは、イギリスのウィングフィールドという人によって”発明”された。もちろんそのずっと以前から、世界各地でテニスの前身といえるような球技が行われていた(テニスにかなり近いといえば、コートテニスとかフランスのジュ・ド・ポームなど)。
1873年に彼ウォルター・クロプトン・ウィングフィールド少佐によってスファイリスティクと名付けた新しいゲームの特許が申請されている。
このゲームこそ近代テニスの原型と認知されているわけで、このゲームの特徴はなによりも芝生をコートとして使用したことで、このためにテニスはその後ずっとローンテニスと呼ばれるようになった。ウィングフィールドはルールや解説などを含めたテニス用品一式をセットにして売り出し、大いに普及をはかったといわれる。
1年後の1874年には、白いフランネルに包まれた新しいボールが考案された。
1877年、ロンドン郊外ウィンブルドンにあった”オールイングランドクロッケークラブ”は、そのボールに着目して、ボールの考案者と共に、新しいローンテニスのルールを作って売り出すことにした(その際にはかのウィングフィールドと特許係争があったともいわれている)。
この時にクラブの名前も今に続く”オールイングランドクロッケーアンドローンテニスクラブ”と改称され、新しいルールにもとずいたアマチュア選手によるトーナメントの開催も決定された。
1877年7月19日、この第1回ウィンブルドンとなる歴史的な試合は、22人の参加選手(男子シングルス)、200人の観客(決勝の時)を集めて開催され、S.W.ゴアが 61/62/64 で優勝した、と記録されている。このとき用いられたルールによれば、すでに、得点法、長方形のコート、サーバーの位置など、現行のテニスの形がほぼできあがっている。
1881年、アメリカニューポートにおいて第1回全米選手権が行われた。
この後、テニスはその特異なおもしろさから棲息地を世界各地へとへ広げていく。現在ではそのテリトリーはサッカーと同じように「世界標準」といえるほどになっている。
歴史の本をひもとけば、人々がテニスとどのように関わり、いかに熱中してきたか理解できる。そのなかで自分がどのようにテニスに関わっていくのかといったことを考えてみることも興味深いことと思う。
現代のテニス
テニスはそのおもしろさから世界中で楽しまれている。将来(でなくても)もし君達がたとえどの国の、どの町に行ったとしても、おそらくそこにテニスコートとそれに親しむ人々を見つけることができるだろう。また、君が望むならばすぐに一緒にプレーする友達を見つけられだろう。
つれづれ考えるにテニスの面白さは
- コートの大きさが適当なこと
卓球やバドミントンほど小さくはなく、サッカー程は大きくない…顔は見えるがその表情まではちょっとうかがえない、という微妙な距離といえる - 個人スポーツであること
- 技術的に難しい面があること
- 運動量が適当であること
に集約されるのではないだろうか。
Wimbledon 第1回優勝者のゴアが、その単調さの故に「テニスの将来は暗い」といったと言われているが…もちろん、その頃はボレーもスマッシュも、上からのサーブも開発されていなかった…その単調さ(単純さ)の割りには、今では学ぶべき多くの技術があるし作戦も戦略もある。
しかも多すぎない程度に…
プロテニスの話題
1968年、テニストーナメントがプロ化されて以来、テニスは興隆の一途をたどってきた。世界中でテニスは「する」だけでなく「観る」ことも加えられるようになり、たくさんの観客(と資金)を集める重要なイベントになっている。
われわれとしてはその興隆のプロトーナメントを単に見て楽しむだけでなく、黎明期のプロ選手がどのように世間の偏見と戦ってきたか、をたまには振り返ってみるのも意義あることかもしれない。
ベテランテニスの話題
日本の現状を鑑みればその高齢者社会の一面を、はからずもテニスのベテラン大会の盛況にみることができる。
年齢制限なしの「オープン」のカテゴリーとは別に、成人では5歳刻みの年齢別カテゴリに分けてトーナメントが運営(開催)されている。
現在は
「35歳以上」の部(女子は40歳以上)から上は85歳以上のシングルスまでの部に分かれて、各々カテゴリーの中で楽しみ戦われている。
ジュニアテニスの世界
ジュニアとは、テニスの世界では一般に18才以下の年令をいう。
もちろん世界的なレベルの選手は18才以下でも”オープン(年令制限無しのカテゴリー)”にチャレンジし実績をあげている。
年令別のカテゴリー
category | 特質 |
---|---|
10才以下 | その年の12月31日までに満11歳の誕生日を迎えるもの はっきりいってまだテニスのゲームにならない |
12才以下 | その年の12月31日までに満13歳の誕生日を迎えるもの 練習量によってはそれなりのゲームを作り上げていくことができる しかし年令的な観点からは、選手を目指しての練習は必ずしも好ましいものではない |
14才以下 | その年の12月31日までに満15歳の誕生日を迎えるもの 選手を志すものはかなりの練習量をこなさなければならない。 |
16才以下 | その年の12月31日までに満17歳の誕生日を迎えるもの 女子選手はこの年令でそれなりの名前を上げていなければ、 世界で活躍するのは難しい(男子はもう少し年令的な余裕があるかもしれない) |
18才以下 | その年の12月31日までに満19歳の誕生日を迎えるもの 世界をめざそうとするならこの年令ですでに名を知られていなければならない この年令のトップランカーはオープン(プロ)の選手と対等以上に戦える |
マナー
選手を志すもの(もちろん志さない人も)は、技術を磨くのは当然として、その前に基本的な人間としての素養が認められなくてはならない。
テニスは、持っている技術だけでなく、その選手の(テニス)スタイルも含めて、人間性の発現としてとらえられるべきである。
挨拶 | 練習(試合)開始の挨拶、終了の握手をしっかりすること |
身だしなみ | 清潔なウェアときれいなテニスシューズ |
ボールを拾う | 練習中あるいは試合中の選手の邪魔にならないように… ラリーの中断を待って拾いに行くか、あるいは拾ってもらうよう声をかける |
ボールを渡す | 1バウンドで相手が捕りやすい胸の高さに利き手で投げるとよいでしょう |
コートを横切る | ラリーの中断を待って、コートの端を駆け足で渡る |
応援 | ギャラリーとして試合を盛り上げるために、応援は大いにするべき ただし、選手がサーブの構えを示した時からポイントの終了までは静粛にする 他の選手の講評はみだりにしないことが望ましい |
テニスの年表
ほかのスポーツと合わせてテニスの歴史とその意義を考えてみる
年 | できごと |
---|---|
BC776 | 古代オリンピック(ギリシャ) ~AD393 |
1400 年代中期 | 大航海時代(ヨーロッパ) ~1600年代中期ごろ |
1711 | Royal Ascot Race Meeting 競馬 ロイヤルアスコット開催 第1回(イギリス) |
およそ 1760~ | 産業革命(イギリス) ~およそ1840年 |
1839 | Henley Royal Regatta ボート ヘンリー・ロイヤル・レガッタ 第1回(英) |
1846 | Baseball 最初の試合(6月19日) アメリカ |
1851 | アメリカズカップの由来となる「America」が、ワイト島一周レースに優勝(イギリス) |
1860 | The Open Championship 第1回(ゴルフ)全英選手権 |
1870 | アメリカズカップ(ヨット)第1回 (ニューヨーク NYYC) |
1873 | テニスの前身「スファイリスティク」の発明 ウォルター・クロプトン・ウィングフィールド |
1877 | Wimbledon(The Championships) 第1回 |
1878 | 外国人居留者専用クラブとコート発足 横浜・山手公園 |
1881 | 全米選手権 第1回 ニューポート |
1891 | 全仏選手権 第1回 |
1891 | バスケットボールの考案 ネイスミス(アメリカ) |
1900 | デビスカップ 第1回 アメリカ/ボストン(ロングウッド・クリケット・クラブ) |
1900 | 東京ローンテニス倶楽部(日本人がプレーできる国内最初のクラブ)誕生 |
1903 | MLB ワールドシリーズ 第1回 |
1905 | 全豪選手権 第1回 |
1913 | 国際ローンテニス連盟(ILTF / International Lawn Tennis Federation)設立 |
1921 | デビスカップ初参加(熊谷、清水、柏尾) チャレンジラウンド進出 |
1922 | 日本庭球協会(現日本テニス協会)創立 初代会長/朝吹常吉 |
1922 | 全日本選手権 第1回 |
1930 | サッカー 第1回 ワールドカップ (ウルガイ) |
1934 | 三木龍喜 /ドロシー・ラウンド(英) Winbledon ミックスダブルス優勝 |
1949 | NBA誕生 |
1950 | バスケットボール 世界選手権(ワールドカップ) 第1回 |
1955 | 宮城淳/加茂公成 全米選手権男子ダブルス優勝 |
1968 | テニストーナメントプロ化(プロ選手の出場を解禁) |
1972 | 男子プロテニス協会(ATP / Association of Tennins Professionals)設立 |
1973 | 女子テニス協会(WTA / Women’s Tennis Association)設立 |
1975 | 沢松和子/アン・キヨムラ Wimbledon女子ダブルス優勝 |
1977 | 国際ローンテニス連盟を国際テニス連盟(ITF)に改称 |
近代スポーツの確立
近代スポーツの多くはイギリスにおいて発明ないし発展し組織化されてきた。テニスと合わせてその意味を考えてみるのもおもしろいだろう。
イギリスにおける主なスポーツ組織の設立時期
1857年 登山
1866年 陸上競技
1869年 水泳
1871年 ラグビー
1875年 ヨット
1878年 自転車
1879年 スケート、ボート
1884年 ボクシング
1886年 ホッケー
1888年 テニス
1895年 バドミントン
1898年 フェンシング
…ほぼ19世紀末までに近代スポーツが組織化されている。
(出典/Wikipedia)
ただいま編集中…
国際競技機関の参加国数と登録人数
バスケット
テニス
バレー
バドミントン
陸上
水泳